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2008年10月10日発売
ISBN 978-4-7759-7112-3 C2033
定価本体2,300円+税
A5判 約558頁
著 者 アーロン・ブラウン
訳 者 櫻井祐子
トレーダーズショップから送料無料でお届け
![]() アーロン・ブラウン News過去12年間で賞金1190万ドルを稼いだ女性ポーカープレイヤー、ヴァネッサ・セルブスト氏が世界最大のヘッジファンドであるブリッジウォーター社に入社したと報じられました。(記事原文)。インタビュー動画では、投資家とポーカープレイヤーの共通点を語っています。(2018.01.15) |
先物やオプションをトレードするのはポーカーをプレーするのと同じである
「あなたが苦労して稼いだお金を、銀行や証券会社はギャンブルに使っている」――。
そう聞いて、気持ちの良い人はいないだろう。
しかし、本書を読み進めていくうちに、小難しい理論でお高くとまった現代ファイナンスの中核が、実は「ギャンブル」であること、そしてギャンブルへの洞察が金融や相場の理解に大いに役立つことを、確信するはずだ。金融市場に最もよく似たゲームである「ポーカー」がプロの金融マンやトレーダーの間で非常に人気の高いのは、偶然ではないのだ。
ファイナンスの実践的教育者にして、生涯現役のポーカープレーヤーであるアーロン・ブラウンは、米国の金融システム発展の底流には常にポーカーとギャンブルの文化があったことを明らかにしたうえで、その視点から人がリスクを取る確固たる理由について明快に説明している。
また本書から次のことが学べる。
IT技術の進展で、ひとつの売買システムや戦略にこだわっていたのでは相手に丸裸にされやすくなった時代、本書に描かれているポーカープレーヤー的洞察と姿勢は、トレーダーにも大きな発見と悟りとヒントをもたらすであろう。
「ハイレベルのポーカー、オプション取引、ファイナンス教授。アーロン・ブラウンは、このすべてをこなしている。本書では、彼がこれらの活動から得た人間洞察と人生の教訓を読むことができる。ジョン・ローからフィッシャー・ブラックまで、私は登場人物の人物像と逸話を大いに楽しんだ」
――エドワード・O・ソープ(『ディーラーをやっつけろ!』の著者)
「アーロン・ブラウンはスーツ、ゲートル、ダイアモンドの飾りピンに代わって、心理学、ゲーム理論、数学が求められるこの科学技術の時代における、第二のデイモン・ラニアン*だ」
――ポール・ウィルモット(作家、数学者) *ブロードウェイを舞台とした短篇小説で知られる「ウォール街のデリバティブトレーダーが、ポーカーのプロになる方法を指南し、われわれをリスク概念への愉快な旅に案内してくれる。ブラウンは、ポーカーの概念を投資と人生の隠喩として絶妙に用いている。『計算不能なリスク』の役割を説明しつつ、冒険の真髄をとらえようとする彼の熱意は、読者を本書に引きずり込むことだろう。本書は素晴らしい読み物であり、リスクを理解するための優れた手引書でもある」
――ウィリアム・T・ジエンバ博士(ブリティッシュコロンビア大学ソーダー・スクール・オブ・エコノミックス名誉教授)「本書がポーカーのみならず、経済発展に関する本でもある。本書はこの両方のギャンブルで勝つ方法について教えてくれる。経験豊富なポーカープレーヤーであれ、経済学者であれ、アーロン・ブラウンの主張に耳を傾ければ、世界を新しい目でとらえることができるだろう」
――ペリー・メーリング(コロンビア大学バーナードカレッジ経済学教授、日経BP刊『金融工学者フィッシャー・ブラック』の著者)「本書には、ギャンブルやウォール街での生活、ポーカー文化、それにギャンブルに携わる興味深い人たちに関する、有益な情報が満載されている。本書は、娯楽と斬新な考え方の融合に成功した」
――エスペン・ガーダー・ハウグ(JPモルガン社トレーダー、『ザ・コンプリート・ガイド・トゥー・オプション・プライシング・フォーミュラズ』著者)
まず、すぐに浮かぶのは……
![]() バフェット |
が、米資産家ビルゲイツと「セブンブリッジ仲間」というのは、有名な話。 |
さらに、思いつくだけでも……
○デビッド・カプラン(ポーカー)『カプランのオプション売買戦略』著者以上の人たちは、ギャンブルの賭け方や確率理論をトレードに応用して、大成功を収めた人たちだ。特にブレアー・ハルは、プロのカードカウンターで、ブラックジャックの世界では知らない人のないケン・ユーストンと同じチームで活動もしていた。
○マーティン・シュワルツ(クラップス)『ピット・ブル』著者
○ゲーリー・ビールフェルド(ポーカー)『マーケットの魔術師』
○ラッセル・サンズ(バックギャモン)『タートルズの秘密』著者
○ランデイ・マッケイ(ブリッジ)『新マーケットの魔術師』
○ビクター・スペランデオ(ポーカー)『スペランデオのトレード実践講座』著者
○ブレアー・ハル(ブラックジャック)『新マーケットの魔術師』
○ジェフ・ヤス(ポーカー)『新マーケットの魔術師』
○エド・ソープ(ブラックジャック)『ディーラーをやっつけろ!』著者
○ビル・グロス(ブラックジャック)『債券王ビル・グロース 常勝の投資哲学』 など……。
『ギャンブルトレーダー』はトレードに、従来の財務分析やマクロ経済動向ではなく、ゲーム理論と確率論からアプローチする。市場が人の感情で動き、自分の取引の反対側にいるのが感情を持った人間であることを、ギャンブルトレーダーは熟知している。市場を動かすのは人間の感情なのだ。ギャンブルのなかでも特にポーカーは、自分の手を見せずに相手にも読まれないように配慮しながら、相手を出し抜こうとするゲームで、先物・オプション取引によく似ていると言われる。また、ギャンブル的アプローチには自己規律が欠かせない。
本書は、ここ数年で読んだトレード心理の本のなかで、一番のお気に入りだ。 勝つためのハウツーでなはく、本質的に大事なことがことが書かれている。
徃住啓一 http://www.panrolling.com/blog/tokosumi.html
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ところが、本書の著者、アーロン・ブラウンに言わせると「先物取引はギャンブルから生まれた」となります。そもそも著者の理論では「金融=ギャンブル」なのです。
本書では、米国の金融史をギャンブルの視点から分析し、なぜ先物産業、ひいては金融産業が米国で花開き、発展したのかを解説しています。経済、ファイナンス(金融学)、デリバティブ(金融派生商品)、金融工学、トレードの概念が、ギャンブル(その象徴としてポーカー)というキーワードで理解できてしまうのです。
原書は2005年に出版され、多くの読者から良書として評価されています(原題は『The Poker Face of Wall Street』です。米アマゾンドットコムの書評ページを確認してみてください)。著者は大学の金融学教授、オプショントレーダー、証券会社のデリバティブマネジャーという「実践」経験を持つプロのポーカープレーヤーです。
確かに米国では、多くの金融のプロがギャンブルを愛好しています。“投資の神様”と称賛されるウォーレン・バフェット氏が、資産家のビル・ゲイツと「セブンブリッジ仲間」というのは有名な話です。ジャック・シュワッガー著『マー ケットの魔術師』シリーズ(弊社刊)に取り上げられているスーパートレーダーの多くが、ポーカーやクラップス、バックギャモンの名手でした。
これは金融の「リスク」に対する考え方や姿勢が「真のギャンブル」にも通じるからだと思われます。
よくギャンブルにのめり込み破滅する人の話が出てきます。しかし、それはトレードや投資でも、聞かれる話です。本書で詳しく説明されているように、それは受けとめる人間の心の問題でしかありません。
またギャンブルが非生産的であるという考え方は、先物取引がヘッジの場と考えることぐらい、本質を見誤る可能性があることを本書は教えてくれます。
最近の世界金融危機ですっかり悪役となったデリバティブをバフェットは「大量破壊兵器」と呼びました。確かにそうでしょう。しかし著者に言わせると「創造的破壊」は「今もなお経済発展の主要な原動力」なのです。
本書のユニークな視点が、読者に固定概念やリスクを再考していただく機会となれば、編集者としてこれほどうれしいことはありません。
週間先物ジャーナル2008年11月10日号寄稿
ナシーム・ニコラス・タレブ (ダイヤモンド社刊『まぐれ』著者)
I
ギャンブルは、ほかにやることがあまりない人がのめりこむ、あるいは、ほか にやることがない時間を浪費する不毛な活動と見なされることが多い。そして 「経済的リスクを負うこと」と「ギャンブル」とは別物と考えられている。つま り、一方には敬意が払われ、他方には悪習や寄生行為の産物というレッテルが張 られているわけだ。しかし、本書は純粋に「ギャンブル」と呼ばれるものと「生産的な経済活動」 と呼ばれるものとの区別が、社会的に構築され、人の心にこびりつき離れない種 類の区別であることを示している。
多くの人が、この主張に異議を唱えるだろう(われわれの経済文化は、さまざ まな営みの間に存在するこうした心的境界によって損なわれている)。しかし、 ギャンブルは将来の現金移動への期待という形で、経済生活に通貨を注入してい る。世界を前進させるのは、狭義の「生産的」活動だけではないのだ。 この考え方は受け入れられないかもしれない。なぜなら経済学は説明的な学問 であり、これは誤った説明であるように思われるからだ。
「ギャンブルが経済活動を模倣しているのではない、経済生活は主にギャンブ ルをモデルにして作られたのだ」――。これは破産のために悪評を得たものの、 独創的な思想家だったジョン・ローの考え方である。そしてまた独創的な思想家 であるアーロン・ブラウンも、この考え方を再び取り上げ、さらに発展させてい る。
II
本書の原稿をひもとく日まで、私はどのような形のものであれ、ギャンブルに はまったく関心がなかった。確率論に関する膨大な書物や、確率または「リスク」 の歴史について書かれた見当違いの書籍などが教えることとは裏腹に、私は ギャンブルから「真のランダム性」についての教訓を得ることはできないし、 ギャンブルがこの厄介で非観念的な現実世界に生きるために実地訓練を積む実験 室にはなり得ない、という攻撃的な考えを持っていた。概して人間は、人生において偶然が果たす役割を過小評価し、同様にこうした ゲームでは、それを「過大評価」する傾向にある。これは、頭のなかで想起しや すい情報のほうが重視されるという「利用可能性ヒューリスティック」の作用に よるものだ。
実際、私の専門が確率論であることを知ったとたん、サイコロの話をしようと する人たちがいる。これには強い憤りを感じずにいられない。私の著書のペー パーバック版を担当した二人のイラストレータは、何も指示されないのに勝手 に、イラストレータが表紙に、組版担当者が各章見出しの下に、それぞれサイコ ロの絵を添え、私を激怒させた。
編集者は、二人に対して、いわゆる知的侵害であるかのように「遊戯的詭弁を 回避せよ」と警告した。興味深いことに、二人とも「ああ、すみませんでした。 知らなかったんです」と答えた。
遊戯的詭弁とは(「遊戯」を意味するラテン語の「ルーダス」にちなんだ)私 の造語だ。認識論的根拠としてゲームを誤用することを指す。 こうしたゲームでは、ランダム性が最終的に消滅してしまう。どうしてだろう か。
確率は既知で、報酬は不変と仮定しよう。またカジノは、賞金を一〇〇倍支払 うとか、十分の一しか支払わないなどと宣言して、客を驚かせるようなことはな いとする。
サイコロ投げは、すぐに平均値に落ち着く。スキルではなく、ノイズが相殺さ れるからだ(これがカジノの強みである)。ルーレットは、ごく近い将来にカジ ノが客を負かすと断言できる。期間を長く設定すればするほど(あるいは賭け金 を小さくすればするほど)、平均化のせいで、ランダム性はこうしたギャンブル の構成概念からますます消えていくのだ。
遊戯的詭弁は、例えばランダムウォーク、サイコロ投げ、コイン投げ、〇か一 かで表される悪名高いデジタル式の「表か裏か」、水中を漂う花粉の微粒子のよ うな動きの「ブラウン運動」など、偶然の機構に存在する。これらが生み出すの は、ランダム性と見なされてもいない性質のランダム性だ。「プロトランダム 性」あるいはマンデルブロのいわゆる「マイルド型のランダム性」のほうが、呼 び名としてより適切だろう。こうした理論はどれも、その根底で不確実性の層を 無視している。さらに悪いことに、この層の存在すら認識していないのだ!
ところが、本書がもたらした意外な新事実がある。それは、ポーカーがランダ ムウォークと著しく異なること、そしてそれゆえにポーカーから教訓を学ぶこと が可能ということだ。
さらに言えば、ポーカーはランダム性について学べる唯一の現場なのかもしれ ない。なぜなら、ポーカーには、ほかにも不確実性の上位層がたくさん隠れてい るからだ。
ポーカーでは、食い物にしたくなるようなカモもいれば、あなたをカモにしよ うとする人もいる(もちろん、あなたに気がつかれないまま)。ただコインを投 げて、左や右に賭けるわけではない。ルーレット盤のように、大きな機械を相手 に賭けをするわけでもない。カードを見ずに引くわけでもない。ほかの人間を相 手にプレーするのだ。対戦相手が最大限に賭けてくることを簡単に制御できな い。
どのような方針で賭けるかは、ある特定のカードを獲得する確率よりも、はる かに重要だ。ポーカーでは、はったりをかけて逃げ切ったり、ほかのプレーヤー を混乱させたり、悪い手をものともせずに勝ったり、あるいは予想外に良い手で も負けたりすることがある。また、賭けというものは、とりわけエスカレートす るものだ。
つまるところ、確率には「自閉的確率」と「社会的確率」がある。後者は、人 間関係のごたごたや、もつれのせいで複雑だ(だから面白い)。そしてポーカー と本書がわれわれを導いてくれるのは、その後者である。
このように、カードに関する不確実性、他人の賭け方に関する不確実性、他人 があなたの賭け方をどう考えるかに関する不確実性があるため、ポーカーは現実 世界に似ているといえる。だが、ポーカーは本書が示すように、思いもよらない 点で、さらに現実世界に似ているのだ。
III
本書の著者、アーロン・B・ブラウンのことは、主に確率論の経験主義的知識 人として、数年前から知っていた。ただ、彼が実際にどのような考えの持ち主な のかは、本書を読むまで知らなかった。私が知っていたのは、彼がリスク管理という知的活動に携わり、トレードと ギャンブルの経験を通じて、偏見のない心で(不確実性を理解するために必要な ものだ)、より深く不確実性を理解するようになったという、一風変わった貴重 な経歴の持ち主だということだった。つまり、彼は「実務家が腹を立てずに話す ことのできるファイナンスの教授」というわけだ。
ただし、彼のすごさは、たった一つの大きなアイデアを持ち、それを縦横に探 究し、熟成させ、その興味深いひだのなかに入りこみながら、人生を歩んでいる ことにある。このことは、偏見のない確率論の知識人という、ただでさえ珍しい 分類よりも、はるかにまれなことだ。
ポーカー経済学、または単なる一般的なギャンブルが、アーロンの専門であ る。彼は遊戯というプリズムをとおして、この世界を見ているのだ。
遊戯的詭弁に対する概念に、遊戯的美徳がある。これはヨハン・ホイジンガの 「ホモルーデンス(遊戯人)」や、ロジエ・カイヨワの「遊びと人間」、最近の ものではミハイ・スパリオスの「ディオニサス・リボーン(Dyonisus Reborn)」などが提示する、遊びの動作主としての人間モデルである。
ただ、こうした文学的、心理学的発想を経済生活の現代的説明に飛躍させるこ とは、難しいままだった。本書が画期的なのは、単にホモエコノミカス(経済 人)とホモルーデンスとを融合するにとどまらず、ホモエコノミカスがホモルー デンスであることを、納得できる形で説明していることにある。
経済生活とはギャンブルなのだ。
読者が私のように、この世界を違った観点から見始めてくれればと願っている。
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